奄美大島と島尾敏雄先生

鹿児島(Kagoshima)

仕事に忙殺される日々に一旦終止符を打ったのが去年の11月。

ちょうどその頃、幼いころの私が「キミヨちゃん」として島尾先生の作品に登場していることを知る。

「キミヨちゃん」は、純粋な子供らしさを持ち、鬱々とした先生の生活を少し明るくしてくれる存在として描かれている。当時の私は奄美大島に住んでいて、先生の事は、近所の図書館長の優しいおじさんと認識していた。

長い間そんなことも知らずに生きてきたことは、残念であり、また、昨年まで彼の本に出会えなかったことも 残念だ。

そして、昭和61年11月12日は先生の命日。

私がブログを書き始める事に、何か見えない力を感じてしまう。

「覚える」「話す」「起きる」「理解する」「片付ける」といった生活の難しさをすべて克服したわけではないが、それを克服中の人として、明るい生活を送るために少しでも有益な情報を提供できれば幸いだ。

[左は、H23年 かごしま近代文学館 特別企画展開催時の冊子表紙]

[右は、S51年出版「日の移ろい」帯には、著者のコメントがあり、「登場人物は私と妻と二人の子どもと一少女に限った」とある。]

[For Japanese language learners]

It was last November when I put an end to my busy days at work.

It was right around that time that I found out that I had appeared in Shimao Toshio’s works as “Kimiyo-chan” when I was a child.

Kimiyo-chan is described in his book as having a pure childlike quality that brightens up his depressing life. I was living in Amami-Oshima at the time, and I recognized him as a kind uncle who was the head of the neighborhood library.

It is a pity that I have lived for many years without knowing such a thing and also pity that I didn’t discover his book until last year.

November 12, 1986 was when he passed away.

I can’t help but feel some unseen power in my starting to write a blog.

I have not overcome all the difficulties in life such as memorizing, talking, waking up, understanding, tidying up, but as someone who is in the process of overcoming them, I hope I can provide some useful information to help you live a brighter life.

しごとにぼうさつされるひびに いったん しゅうしふを うったのが きょねんの 11がつ。

ちょうどそのころ、おさないころのわたしが、「キミヨちゃん」として、しまお としおしのさくひんに とうじょうしていることを しった。

「キミヨちゃん」は、じゅんすいな こどもらしさをもち、うつうつとした かれの せいかつを すこし あかるくしてくれる そんざいとして えがかれている。

ながいあいだ そんなこともしらずにいきてきたことは、ざんねんであり、また、さくねんまでかれのほんに であえなかったことも ざんねんだ。

1986ねん 11がつ 12にちは、かれの めいにち。

わたしが、ぶろぐを かきはじめることに なにか みえないちからを かんじてしまう。

「おぼえる」「はなす」「おきる」「りかいする」「かたづける」といったせいかつのむずかしさを すべてこくふくしたわけでは ないが、それを こくふくちゅうの ひととして、 あかるいせいかつを おくるために すこしでも ゆうえきな じょうほうを ていきょうできれば さいわいだ。

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